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★candleをご購入頂いた皆さん、ありがとうございました。
今年のキミに感謝する、来年の夢を記録する、thanks candle。次回もまた書いてください。
やがてこの輪は日本中に広がっていくと思います。
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そして神戸〜1・17 
  「雪の心配はドウやら杞憂に終わる」と確信できたのは15日の深夜、キャンドルを積み、我々を乗せた車が静岡を過ぎやがて浜名湖に差し掛かろうという頃だったろうか。実は今回のことがあるまで知らなかったんだけれど、名古屋からは名神高速だけでなく第2名神と呼ばれてもおかしくない道路がすでにある。名古屋市に入る手前の豊田で東名を外れ、伊勢湾の一番奥、名古屋港を横切り、西に進み桑名・四日市から東名阪、さらに亀山からは新名神高速道路。草津で再び名神と合流するもすぐに京滋バイパスへ・・・・のあたりで眠くなって、気が付いたらもう神戸だった。神戸着、午前4時。当然のことながら会場には警備員しかおらずボクらは仮眠のできるところに移動することにした。
 翌朝、10時半頃にキャンドルを実行委員会に納品(寄付)し、車とドライバーさんはそのまま帰浜の旅に、ボクはぶらぶらしながら堀内さんを待つことにした。
 ここ神戸市中央区東遊園地(三宮)には前にも来たことがある。かれこれ20年近く前になるがその頃、野外彫刻の調査をしていて2度だか3度、この遊園地(公園)も訪れた。公園の北側、市役所の近くに「マリーナ像」(故新谷紀〈ユウキ〉さんの作品)と言うのがある。時計を抱いた金色の女神の像、あれかと思われる方もいらっしゃるかも。震災の時、被害にあって倒壊したがそののち再び現在の位置に設置された。しかし抱えていた時計の針は、それまでと違って地震が起きた時刻を指したままとなっている。ボクの記憶ではこの像は三宮の駅前の交差点にあったと思うのだけど。
 この遊園地(神戸ではそうネーミングされているけど、実は公園)にはこの像だけでなく震災の記憶を表しているものが他にもある。代表的なものは震災のモニュメントだが、その目の前には『1・17希望の灯り』が24時間、絶えることのない炎をともし続けている。現在の神戸市民のアイデンティティがここにはある。そう思っても何の支障もないと思う。
 やがて堀内さんが昔の面影を残したまま、本当はボク等と変わらぬ爺さんなのに、若々しく登場する。30年の時が経っているなんて嘘のようだ。我々の持ってきたキャンドルが気品にあふれていると言って過大な感謝の意を伝えてくれた。さらに「ガンバロウ神戸」から「1.17希望の灯り」への変遷や東日本大震災の時の「たすきプロジェクト」に至るまで、何でもなかったかのように話してくれた。「希望の灯り」や「たすきプロジェクト」についてはホームページがあるので詳しくはそちらを見ていただいた方が間違いがない。ただ、皆さんもお分かりと思うけどこういったNPO法人やボランティア団体を運営するにはとてつもないエネルギーが必要で、大変多くの困難や苦労があり、そのマネージメントは労多くしてなかなか報われない。20年近くもその活動を支えてきた堀内さんには同じような裏方として、自然と頭が下がります。
 16日の午後になると、公園に並べられた竹筒、皆さんのメッセージが込められ竹筒に水が張られ、キャンドルを浮かべ、17日の午前5時には集まった市民の皆さんにより希望の灯りがキャンドルに点灯されました。一人が二人に灯を分け、その二人はまたその次の二人にわけ、その輪が広がりすべてのキャンドルがともされます。やがてテレビによって「1.17」の文字が明けきらない神戸の公園に浮かび上がる様が全国に放映されることになります。
 今、この「希望の灯り」が陸前高田、南相馬、大槌の3か所にも分灯されているのをご存知でしょうか。復興を急ぐこの町で「希望の灯り」は新しいその地のシンボルとして、市民・町民に希望を感じさせるだけでなく、新らたに、観光客の集客にも一役買っているそうです。この日、前の日から神戸に戻った3地区の分灯の灯を合体させ、17日の点灯に備え、メディアへの情報提供をすることが堀内さんのミッションでした。
 災害の被災者だけでなく、事件、事故などで突然身内や親しい人を失ってしまった人たちのために「希望の灯り」が全国に設置されていくかもしれません。人の気持ちをつなぐ作業にボク達のキャンドルが役に立つことがあれば、こんな嬉しいことはありません。(q)
posted by: q | Thanks Candle | 23:13 | comments(0) |-
そして神戸〜1・17 
  1月14日、いつもと同じようにやや遅めの朝を迎えたボクはとても驚いた。本当なら冬の朝日がサッと部屋に差し込んでいるはずなのに、その日はやや薄暗く、外を見ると白いものが舞っていた。『エッ雪!』鍵かっこで言いたくなるくらい不意を突かれた感じ。今日の予定は何とかなるとしても明日の晩には神戸に向けて横浜を発たなければいけない。何年か前にも雪のために大阪からキャンドルの火屋(ほや)が運べなくてひどい目にあったことがある。あのときは結局、浜松から名古屋近くまでが通行不能だった。明日の晩とはいえ、いったいこの雪はいつ止むのだろう。その後の東名は車両が通れるのだろうか?そんな心配が頭を埋め尽くしていた。 
 あの日のことを覚えているだろうか。元住吉の自宅にいて、まだ寝ていた時に揺れがきた。さほど強くはなかったけれど、その頃のボクは揺れを感じるとすぐに震源を探す癖がついていた。1995年と言うとパソコンは会社にもなかったと思う。ほとんどの情報はまだテレビが握っていて、即座につけたテレビはやがて倒壊した高速道路や高架から落ちかけた電車、あちこちから煙が立ち上る神戸の市内を映し出すことになる。恐れていた地震が起きた。東京ではなく神戸だったけど、直下型の、都市を直撃する大地震が。そのままその日はテレビにくぎ付けだった。後で分かったことだけど、震源の近くではつけていたテレビが野球のボールのごとく飛んできたそうだ。2005年の暮れの時点で死者6434名 行方不明3名 負傷者43792名(政府発表) 戦後、最悪と言っていいそうだ。
 堀内正美さんは東京で役者稼業を続けていた時に、ご自分の長男がアトピー体質で、ドクターに「潮風のある場所がよい」と告げられ、東京近郊ではなく海と山に囲まれた神戸を選んだ。フツーなら神奈川か千葉でしょ。そこの何故までは聞く時間が無かったけれど、本来ならとても大変な決断なのにサラッと言ってのけてしまうのが堀内さんらしいところ。ことは1980年代の半ば、ご自身は30代になった頃かな。だから神戸に住み、約10年がたち、慣れ、親しみ、認知も得、根が生え始めたころ、なのかなあの地震にあったのは。
 
 ここからがさらにすごい。まずは『がんばろう!! 神戸』を提唱し、市民ボランティア団体『がんばろう!! 神戸』を結成し被災者支援に取り組む。この流れはやがて『認定特定非営利活動法人 阪神淡路大震災「1・17希望の灯り」』となって大きな輪を描いていくことになる。
(続)(q)
posted by: q | Thanks Candle | 23:10 | comments(0) |-
そして神戸〜横浜から神戸へ
  『堀内正美』さんと聞いて「あーあの人」とすぐにイメージできる人はそう多くはないかもしれない。今は確かNHKの朝ドラ『純と愛』の待田愛のお父さん役で出ているから「あの人か」と思い出していただければ嬉しい。歳?ド~でもいいと思うけどたぶん還暦を過ぎたくらいかな。
 あの頃、70年代の後半、ボクはtvkでワイドショーのディレクターをしていた。最初は音楽から入り、内容的、狙いはよかった筈だけど営業的には結果が付いてこなかった。勿論、音楽は大好きでそれを仕事にしていられるのは実に恵まれていたけどボク自身の最大の関心は「新しいテレビ局創り」にあったのでいつまでもそこにとどまることは意ではなかった。その後この興味は「会社」⇒「地域(横浜)」と変わっていくのだけどその初めの変化が「音楽番組」から「情報番組」へという担当替えだった。
 その最初の改革がキャスター制だった。tvkは当時、東京キー局の10分の1でものを考えるべきだった。ボク自身は常にそう考えていた。「10分の1がキー局の真似をしてワイドショーをやったって見てもらえるわけがない」「ならば1点豪華主義」「振り回されてもいいからキャスター」というわけで、女優の原知佐子さん、作曲家の服部克久さん、すでに故人となられたけど評論家の俵萌子さん、建築家の宮脇檀さん、他にも当時モデルとして売れっ子だった蟇目良さんたちにその役割をお願いしていた。原知佐子さんはウルトラマンの故実相寺昭雄監督の奥様で、当時監督の仕事をされていた堀内さんをご紹介していただいたのが縁となった。
 堀内さんもまだ若くて、と言うより我々を含めてスタッフも局全体が若かったから毎週のように企画を巡って言い争っていた記憶がある。まだ日本の民放各社が20年とたたない頃の話だ。いい時代だったのかな。
 そんな時代も長くは続かず、やがてワイドショーは終わりを迎えDJスタイルの番組へと変わっていくのだが80年を前に一つの区切りがやってくる。tvkにとっては最初の峠かな。こうしてみるとギリシャへ行けたなんてことは仇花のようなことだったのかもしれない。いずれにしてもその数年後にボクは事業部へ移動し、制作の現場とはサヨナラだし、社長も交代し全てが我慢の数年間を過ごすことになる。 
 堀内さんとも結局1年か2年の付き合いだった。80年代に入りtvkは再び音楽番組で息を吹き返す。今でも継続されている番組の素はおおむねこの時期に始まっている。と言ってもそれはもう後輩たちの仕事になっていった。事業部では大規模なコンサートをはじめ各種スポーツイベントに係わり、ボクにとってはより地域密着が進むのだけど、その頃 堀内さんは自らの本拠地を関西に求め、港町 神戸に転出する。
 そんなことはつい最近になるまで知らなかった。(q)

posted by: q | Thanks Candle | 22:24 | comments(0) |-
そして神戸〜まずはギリシャ
  初めて海外に行った時のことを思い出してみた。
1977年か78年のことだと思う。為替が固定から変動制にかわり、ようやく海外旅行が安くなり始めた頃のことだと思う。こういった社会の構造変化は様々な人にいろいろなビジネスチャンスをもたらす。この場合は旅行代理店にとって大きなビジネスチャンスになったようで、当時いわゆるお昼のワイドショーを担当していたボクらに取材の命が下された。もすぐ30になろうというのに実は海外に出るのは初めてだった。ただ、遊びに行くならまだしもこれは仕事だし、まだENGと呼ばれるVTRの収録システムが一般的ではなかった時代だから16ミリのフィルムカメラ、当然フィルム、変圧器など結構重量のある機材を手持ちで運ばなければいけなかったし、それにしては一地方局のことだからそんなに大勢のスタッフをひきつれて・・・なんて訳には当然いかない。それでもレポーター、カメラマン、チーフディレクター(自分)、ディレクター、それにスポンサーでもある旅行代理店の担当者、都合5名の当時のこの局としては大所帯のチームがそれにあたった。
 お昼の番組を持つということは、少なくとも週に一度は担当曜日が来るということで、今回のように1週間渡る日程を確保できる時期と言えば、高校野球の県大会が行われている間の7月中旬から下旬にかけての間しか考えられなかった。そういう期間があることは一年中ネタに追いかけられている身としてはラッキーだった。で、目的地だ。
 『魅せられて』というジュディ・オングさんの曲を覚えていらっしゃるだろうか。そして画家?彫刻家?マルチアーチストの池田満寿夫さんの小説『エーゲ海に捧ぐ』はいかがだろうか。二つの事柄は互いに関連しながら当時の話題を形成し、『エーゲ海』ブームを生み、われわれにギリシャというテーマを与えた。(つまりこれは79年の出来事だ)
 神々の国とオリンピックを除けばギリシャに関する情報など日本にはなじみがなかった頃だから、ある意味何を取り上げてもそれがギリシャらしいことであるならば何でも見てもらえそうな頃ではあったけど、地政学的な意味合いからも東のトルコ(アジア)から西のヨーロッパ口まで実質1週間に満たない期間の中で文字通り東奔西走して走り回ったロケだった。
 当時から裕福な国ではなかったけれど、昨今、経済危機の只中にあることなど、到底 信じがたい思いがする。そして、そのロケを支えてくれたレポーターこそが俳優の堀内正美さんだった。レポーターと書いたが一曜日を支えるキャスターだった。
(q)
 
posted by: q | Thanks Candle | 00:58 | comments(0) |-
まだ まだ 暑い!
  久しぶりにプールで泳いだ。大した距離じゃないから泳いだというより、プールに浸かったという感じ。泳いだ喜びよりその後、街を歩いた時のあの暑さが気持ちよかったので驚いた。
 帽子を忘れてしまって外のまぶしさまたは輝きが眼に痛いほどだったのに、子供のころにのプール帰りと同じでなんとなく楽しかった。ニッポンの夏なんだな〜。
 7月になって今月は石巻だと書いたのが昨日のようなのに、もう8月も末。今年の上半期は忙しかったのかな。それとなく年を取って疲れが少しづつ大きくなって・・・。7月11日のディナーショウが終わったところでガス欠を起こしたように体が動かなくなって、7月末の石巻行まで何とかつないだのに、帰ってきたら夏風邪? 元に戻るのに2週間もかかってしまった。こういうところが年のせいなのかな。これからは年々ひどくなるに違いない。覚悟しておこう。
 そう、石巻だ。実はサンクスキャンドルの在庫がここ2年ほどあっていつまでも倉庫に置いておくわけにもいかず有意義に使用する方法を探していたのだけれど、津波の最大被災地の一つ、石巻市のイベントで使って貰えることになったので実行に移していた。 続きは明日。
 明日は、そうだ、『お台場の夏祭り』ここでもキャンドルを提供することになっているので、明日の夜はお台場です。でも、早く帰って続きを書くから・・・なんたって、誰も期待してないよね。(q)
posted by: q | Thanks Candle | 22:55 | comments(0) |-
イルミネーションとcandle   〜candle talk 〜
  拘っている割にはcandleの話がこのブログに出てこない。まだ研究が足りないみたいで自分の満足度が今一。だからと言って黙っていてもしょうがないからまずは想いの程から創めてみようと考えた
.
 アレは確か10年ほど昔の9月。その頃ボクのオフィスは山下町のシルクセンターにあった。シルクセンターは山下町の一番地。開港記念広場が目の前にあり、その向こうは県庁。チョット右を見れば大桟橋。さらに右へ旋回すると山下公園、氷川丸へと続く。ウム、横浜の代表的な一角だったンだね。隣の産貿センターに観光コンベンションビューロがあってそこの事業担当の課長が「冬の横浜」だと叫んでいた。今でもそうだけどその頃からボクは横浜のイベントは春夏秋冬に大きなものがあれば他はイイじゃないかと考えていて、「そう言えば冬の横浜にはイベントがない」と気付いていたから、これはチャンスだと思い、何とかしようと意欲満々だった。だから「冬の横浜・・・」の掛け声を聞くや否や即座に「candle」を提案した次第。勿論理由はいくつかあってこれを何回かに分けて書いていくンだけど最初はこれ
  「イルミネーションとcandle」
 先日のジャズプロムナードが始まる前の晩、象の鼻を中心にスマートイルミネーションというイベントが行われていた。ここ数年の傾向としてイルミネーションはLED化が進み消費電力は格段に下がっている筈。「アレから10年か」という感慨にふけっている余裕はなく、再び夜景を改めてみると、横浜の夜景はやっぱり素晴らしい。言うまでもなくそれは都会の夜景、しかもなんて言うんだろう優しさかな、チャラチャラしたそれではなく、何となくホンワカかな。その日は象の鼻からだけど、これが大桟橋や山下公園からでも全く変わることは無い。ライトアップされた関内の三塔やインターコンチなどとマッチして殆んど完璧な夜景を形成している。
 だけど、ボクには物足りない。
2011年のこの秋、東日本大震災を経験し今尚 大勢の方が原発で苦しんでいる状況でこんなことを言うのはやや気が引けるけど、10年前のその頃から夜景は発展の象徴の一つ、と考えていた。電気を使用し暗闇を照らし、つまり人に安心を提供し、人の活動=営みを支援する。電気は人の英知の結果であり、我々はその文明の利器を余すことなく享受する事が出来た。それがイルミネーションだと思っている。
 だけど文明を支えるのはやはり人だ。
物に対して人だ。形にはならないけどココロがあり、魂を持ち、精神がある。何より命がある。
これを表現できるのがCANDLEだ。
動物から別れ、人として存在し始めた最初から火は営みを支え、合図(標)として使用しハートや命そのものだった。それがCANDLEだ。そう固く信じている。
 だから都市の夜景にも人を表現すべきと考えていた。
発展のシンボルとしてのイルミネーションとココロのコラボレーション。
それこそが都市の夜景ではないかな。
(q)

 
 
posted by: q | Thanks Candle | 22:33 | comments(0) |-
どこでしょうか??
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どこでしょうか?(続)
posted by: q | Thanks Candle | 22:06 | comments(0) |-
どこでしょうか?
 どこでしょうか?

11月6日(土)17時頃

 





 

コッキング苑に並べられたキャンドル


マイアミビーチ広場から片瀬海岸を望む


 そうです。一度は行ったことがありますよね。湘南は江ノ島の展望灯台でした。
この日、『江no・Fes 湘南キャンドル2010』が開催されていました。
ここではキャンドルは眺めているだけ美しいけれど、チョッと物足りないな〜

 江ノ島には久し振りでしたがいつの間にか灯台もリニューアルされていて見違えるようでした。
 湘南シーキャンドルと言うニックネームが付けられているようです。

あさって24日は赤レンガでサンクスキャンドルが開催されます。今年一年の出来事を思い返してキミに感謝です。
 ぜひご参加下さい。
(q)





posted by: q | Thanks Candle | 22:47 | comments(0) |-
フェット・デ・リュミエール
 緊急です。前回お知らせした『リヨン光の祭り』は明日の天候不順が予測されるため、一日順延になるそうです。ですから日曜日に横浜赤レンガ倉庫へ行きましょう。タイトルは『フェット・デ・リュミエール』と言うそうです。(q)
posted by: q | Thanks Candle | 23:24 | comments(0) |-
リヨン光の祭り
 突然ですが、明後日2月27日の夜、横浜赤レンガ倉庫 にてアートリンクのクロージングイベントとして『リヨン光の祭り』の映像が映し出されます。詳しくは『横濱ブリリアントウェイ』の『姉妹都市提携記念 リヨン特別イベント』を検索してみて下さい。サンクスキャンドルも使用されるようです。(q)
posted by: q | Thanks Candle | 09:50 | comments(0) |-