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T Plan」の仲間達のブログ。
仕事やプライベートでの出来事をマイペースに綴っていきます。












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7/15(土)as4M
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★candleをご購入頂いた皆さん、ありがとうございました。
今年のキミに感謝する、来年の夢を記録する、thanks candle。次回もまた書いてください。
やがてこの輪は日本中に広がっていくと思います。
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もうすぐ2017

サボってる訳ではないけれど、気が付くと今年も終わり。去年と違って終わらないうちに気付いた。

と言っても2時間〇〇分前。今年最大の驚きはアインシュタイン。相対性理論にも対論があるということ。そんなこと言っても、べつに相対性理論を知っているわけではないから、こんな驚き なんてことはない。相対性理論は間違いのない真実だと思っていたから、驚きは絶対への不信。不信と言うより変化の受容。だが、なんでも聞くし、何でも受け入れるから、驚きと言ってもそんな程度。

もう一つ。2ヶ月くらい前にビートルズを見た。新たな身内がビートルズのコピーをしているからではなく、久々にビートルズの映画が公開されていただけのこと。タイトルも忘れかけているけど「エイトデイズアウィーク」だったっけ。デビュー当時のアメリカツアーの話が面白い。結局テーマは『自由』なんだな。ボクらの世代の時代のテーマは。改めてビートルズの自由を思い出した次第。

同じ月に高校時代の友人に会った。彼はプレスリーだった。プレスリーのフリークだった。そのせいもあってボクは今でもプレスリーが大好き。勝手に一人で歌っている。まぁ、ノー天気なんだな。それもいいだろ?(皆さんの同意を求めています)

そんなわけで、カウントダウンは11になったけど、ノー天気なボクは来年も歌う。(笑)

みなさん、よいお年を!(q)

 

posted by: q | Diary | 21:27 | comments(0) |-
カウントダウン11〜9月になった

 前回が6月だから3か月もたってしまった。この間のおさらいをしておこう。自分でも忘れてしまうから。
まづ6月は本牧は隣花苑でTOMOKOさんのライブ。恒例になってしまった感があるけど梅雨の合間の隣花苑はホントにいい。今年は雨こそ降らなかったものの数百年を数える日本家屋には雨がよく似合う。雨露を含む隣花苑の花や植物が鮮やかで、その上落ち着いた色を醸し出す。そこに軽妙な音楽だ。これ以上何をかいわんや。
 代わって7月はas4Mで仙台に。
ここまで書いて止ってしまった。気が付けば1年2か月後。

何故とか、ど〜して、とか、言ってみたところで、書かなかったんだからしょうがない。書けなかったんだからしょうがない。

それでいいよね。兎に角BDが過ぎて古希まで一年を切ってしまった。だからカウントダウン11。

づ〜っと書かないと死んだと思われるから(それもいいかも)また書きま〜す。今度は何を書こうかな。

(q)

posted by: q | Diary | 23:42 | comments(0) |-
71 その3
キンヤさんのところでお終いの筈だったのに、その先まで書いておきたくなった。
『23時ショー』の話だ。
ロングストリーと言うよりもエピソードをいくつか。
 夜中の11時に視聴者参加の道を開いたと言えば聞こえはいいか。今時、こんな時間帯に生放送なんてないでしょ。そういう意味じゃ夜中に視聴者参加なんて何の意味があるのかと思えるけど、「幼な妻コンテスト」「大根足コンテスト」などナンセンスに見えるけど人がうわさ話としてするような事、公に話をすることなどなかったような話題。ともすればネガティブなテーマ。それらを明るく夜中の話題にした。ポイントは『明るく』かな。自分の持つ劣等感みたいなものを、開き直りと言うか、堂々と語ることで、ポジティブに転化する。そんな力がこの番組にはあったような気がする。それはそこに集うことになった21人の気持ちみたいなもんだろう、とも思う。ボクは何をしたのかと言うと、今でも覚えているのは、大阪に暮らしていた13人家族の話。確かご主人は再婚で、お相手が子だくさん。とにかく11人の子供を抱え、サラリーマンの給料では暮らせないと一念発起、会社を辞め、脱サラの上、確かその時はタクシードライバーとして日夜働きづめの生活を送っていた家族がいた。どこかの雑誌に取り上げられていたのをその当時としては「考えられない生き方」として取り上げた。ディテールは忘れているけど、今でも時々マスコミには大家族の話が出る。そんな話のさきがけかな。もちろん新幹線に小さな子供たちを乗せて六本木のスタジオまで連れてきた時、子供たちは大はしゃぎ。あの子たちももう40を過ぎて立派に暮らしていると思う。

 その年の暮れに「23時大賞」と言う、夜を明るく、楽しくしてくれた楽曲(人)に感謝を伝える(表彰)番組を作りました。1971年のことだからまだ衛星を利用した海外とのネットワークや生中継は難しい時代だけど、それでも「エルビス・オン・ステージ」で復活を果たしていたプレスリーを表彰したかったんですね。表彰?そんな偉そうなことではなく、「ありがとう。日本には貴兄のファンが沢山いるからね」そんなメッセージが送れたらよかったんだ。ダメもとで一応、編成部に交渉。「衛星中継できませんか?」答えはいらないよね。100万円だって。1分あたり。ホントかどうか分かりません。ただ、ボクの給料その当時5万でしたから、価値観たるやご想像を。結局、エルビスには(偉そうに自分ではこう呼んでおりますが…)法被、そう、着物の法被です(英語の「Happy」に繋がるから)、これを送り、感謝と業績を讃えました。「23時大賞」にはその年、大ブレークした尾崎紀世彦さんが選ばれました。ストレート・アヘッドな歌い方をするシンガーはそのころからテレビで活躍するようになりました。音楽の世界で言えば、いわゆる歌謡曲一辺倒だった時代が終わり、フォーク・ロック・ポップス、そしてアイドル、シンガー・ソングライターの時代へと大きく変化して行く幕開けの年でした。23時大賞は13%を超えるレーティングをとり、もちろんこの時間帯での当時の記録ホルダーです。
 年が明けて72年の1月、就職のため日本教育テレビ(テレビ朝日)を辞め、横浜のテレビ局へと向かうことになります。
すでに尾崎紀世彦さんも鬼界に入られ、日本人離れしたあの歌声を聴くことができないのかと思うと残念ですが、ボクにとっては71年も激動の1年であり、忘れることができない1年でした。もちろん楽しい1年でした。(q)

 
posted by: q | Diary | 20:29 | comments(0) |-
71 の2
 どこまで書いた? 23時ショーが始まったとこ?
「11(イレブン)PM」を見たことがないという団塊の世代はいないんじゃないかな? テレビ初期の深夜のショー番組と言えばイレブンに尽きる。どちらかと言えば男性向けのテレビ番組だったけど、20年以上にわたって様々意味での『色気』を日本中にふりまいてくれた番組。女性であっても一度ならず目にしていただろうと想像。『色気』を扱いながら決していやらしくないところが『スゴイ』。この番組のエスタブリシュ、井原さん…我々から見れば大先輩にしてこの人の美学と言うかセンスと言うか、今の若いテレビマンに『見習え』とは言わないけど研究すべき対象であることは間違いない。残念なことに一度もお目にかかれるチャンスがなかった。
 片やフジの「トゥナイト」はやや影が薄かった。「トゥナイト」はテレ朝だろう、と言う方も多いと思いますが、ボクの記憶ではフジがこのタイトルを使っておりました。ただ正確ではありません。ややこの番組は薄幸で、何時のことかは記憶がありませんが「23時ショー」に敗れ「プロ野球ニュース」に代わってしまいます。
  さて71年4月に『23時ショー』は始まるわけですがはじめは月から木の帯。金曜日は大阪の毎日テレビ(当時の大阪のネット局はなんと毎日で東京が朝日系だから腸ねん転と呼ばれていた)の制作だから週4日のみ。スタッフは有馬さん(プロデューサー)を筆頭に二人のチーフディレクター・リュー(柳)さんと杉さん、はじめ社員スタッフのほかに我々のような番組契約者4名とアルバイト5名、総勢で21名の布陣。この時代には制作会社はそう多くはなかったし、と言うよりほとんど無かった。それでも4日制作で21名は大所帯と言える。司会はケーシー高峰さん、筒井康隆さん(作家)、北山修さん(フォーク・クルセダース)、神津善行さん(作曲家)、女性陣が天地総子さん、加賀まりこさん、草笛光子さん、ちあきなおみさん。もしかしたらどなたかを間違えているかもしれません。何せ40年以上も前のことでただただ記憶を頼りに書いていますので、失礼のある時はお許しをお願いします。でも、すごいでしょ。とにかくユニークですよね。何かが起きそうな予感はこのキャストを見ても分かるというもの。その上に放送作家に片岡直彦(通称、ナオ)さんを迎え、試行錯誤の中、議論、議論でスタッフは毎日のように朝まで喧々諤々やったもんです。勿論喧嘩もありましたがそれは目的のためであり、さわやかなと言ってよいものでした。特に企画会議ではアルバイトであろうとベテラン社員スタッフであろうと同等の立場で意見が言えたし、それは単なる意見ではなく決めれば実行されなければいけないものだったので、ボクにとっては『最初(企画)から作る』貴重な経験として今でも役立っています。
 そして、司会者のうち我々に一番年齢的にも近かった北山修さんは当初からワンクール(3か月)の約束でした。スタートした4月からそれは分かっていたもんですから有馬さんは4月から後任探し。あと2週間で7月と言うある日。スタッフルームの応接セットにやや小太りの、ちょっと見おっさんが座っていました。派手さはなく、どちらかと言えば地味な感じの人でした。お喋りでもなかったしね。この人こそ愛川欣也さんでした。北山さんのご紹介だったそうです。ボクはテレビに入って4年目で、すでにラジオを聞かなくなってしまっていたのでその人が人気のDJであることも知りませんでした。これも私の記憶ですが欣也さんはテレビの司会はこの時が初めて。その後のご活躍は私が申しあげるまでもありません。
 その時の仲間、川田さんが、もう10年くらい前だったかな、羽田か東京駅で偶然キンキンに会ったんだそうです。「有馬さんもリューさんも亡くなって、もうあの頃のことを知る人がいなくなったね〜」としみじみ言っていたそうです。その愛川欣也さんがこの4月、鬼界に入られてしまいました。時の無慈悲を嘆きたいのではありません。いつか我々も続かなければいけません。ボクにとっては僅か半年ほどのお付き合いでしたが、あまりにも見事な「消え方」と「記憶」に残るタレントとしての姿に手本としての感謝を申し上げたいと思います。(q)
 
posted by: q | Diary | 00:12 | comments(0) |-
71 の1
  71年を思い出すには70年から始めよう。
1970年と言えば『万博』。大阪の千里の丘で半年に亘って開催され、延べ6000万人が行ったというあれだ。ボク等の知る限りにおいて戦後最大のイベントだ。夏の暑い時期に「スター物まね大合戦」の録画のために千里に行ったけど、そしてリハを含めて3日くらいの大阪滞在だったけど、一度もパビリオンは覗けず。しょうがないよね。ほとんどの人はたった一つのパビリオンに入るためにほとんど一日を費やしていたんだから。万博ホールはガラスのホリゾンを持つ斬新な会場で、ガラスの向こうには噴水が仕込んであり、この噴水は様々な形に変化するという優れモンだった。この年、ボクは大学の4年生で、就職か留年か、二つの道のどちらかを選ばなければならないことになっていた。道は二つというものの、就職なんか困難で(テレビ局は採用がなく)ほとんど留年かと考えていた11月に、デスクのおっさんが「来年の春から深夜に帯で生のショウ番組を始める。ついてはお前もそのスタッフに推薦するから大学を卒業しろ」と言ってきた。当時のルールでは学生の留年は2年まで。それ以上留年するとアルバイトはクビ、と決まっていた。だから、就職できずに留年しようとしても猶予は1年だけ、だったので、この話は「ラッキー」
 大学にいったん戻り卒業し再びテレビに戻る。ストーリーは簡単でも、実際には卒業のため卒論を書かなきゃならない。50枚(400字詰めの原稿用紙で)?100枚だったかな。しかも締め切りまで90日。準備はもちろんゼロ。テーマも資料もないところから始めたのでインクレディブルでした。結局、大学には何しに行ったのかよくわからないまま卒業?したらしい。「らしい」と言うのは、実は単位が不足していたような気がするからだ。マッいいか。今となってはどうでもいいか。とにかく71年の3月には卒業証書を貰えたし、その1か月前には契約者としてその深夜の新しいショウ番組のスタッフに加えてもらえた。
(ここまで書いて、続きは明日と・・・。そしたら今日になりました。)
 「23時ショー」が始まったのは71年の4月第一週。裏には4の「イレブン」、8は「トゥナイト」。(数字は当時)10はまだ教育テレビだった。1,6,12は別にしてもこの時間帯3っつ目のショー番組だった。「23時ショー」は自分で言うのも変だけど、画期的な番組だった。今では夜の11時と言っても、それが深夜であっても『だから…何』って感じ。当時は夜の11時と言えば、まさに深夜。セブンイレブン(コンビニの)もまだないし、あっても11までの営業だし、今大変なことになっているマクドナルドも初出店前夜。家にいたって『もう寝なさい(寝ましょ)』タイム。もっともボク等の世代は受験勉強やらなんやらで実は深夜は天国。ラジをの深夜放送を聞きながら朝まで?何してたんだろう? でも、世間は夜中。そんな時代。
 そんな時代の深夜のテレビに視聴者参加を持ち込んでしまったのだ。
続く(q)
 
posted by: q | Diary | 16:20 | comments(0) |-
ともしび が消えた
 春分の日も過ぎた。いつの間にか日も伸び、寒さも緩み始めている。時の速さを嘆くのではなく、元気出せ自分。と言ったって、何か悪いことがあったわけではないし、いつもと変わらぬ日々が続いているだけなんだけど。少しづつ体の動きが鈍くなって、こうやって老いと言うものが纏わり(マトワリ)つくのかな。少しだけブルー。1月の末から2月の頭にかけて会津若松、石巻、仙台を廻り、帰浜したところでダウン。「風邪と言うより疲労かな、暫くペースを落とそう」としたらこのありさま。廻りの皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ないと思うけど。ですが、これが私の現実。気を張って、真剣に、明日と向き合いましょう。
 何から書こう?お知らせしなくちゃいけないことは山のようにあるのにどれから話せばいいのかな? 一月には東京キューバン、横浜音泉倶楽部のライブとビッグバンド系を聞き、2月はうちのas4Mのライブを芝のタワープリンスで開催、そうそう今週の末はas4Mの横浜ライブ『paradaise cafe(横浜・馬車道)』今回はベースのサリーさんに応援を依頼。男性のベースが初めて入ります。それだけじゃなくてサプライズ・ゲストも一名お願い。今日はそのリハも終了。後は本番待つのみ。ご予約は045-228-1668 パラダイスカフェへ。たまには見てね。
 あっ!お詫びもあった。カルロス君、またライブをキャンセル。今回は故郷のキューバ国、彼の田舎のサンティアゴ・デ・キューバで不幸があって、その対応のため急遽帰国となりました。そのため2月と3月のライブ全て、出演不可能になりご迷惑おかけしています。
スミマセン。月が替わればまた戻ってきますのでその後の予定はそれからですね。ホント、スミマセン。
 2月はゆっくり、しかし、やや残念。お先真っ暗。暗闇にともしび。
 「ともしび」だって。いまどき。ずいぶん昔、それこそ50年くらい前には「ともしび」と言う名の喫茶店が東京にはあって、確か歌声喫茶だったよな。そんな言われ方をしていたはずだけど。それが、横浜にはあったんだね。馬車道に。本町通のほうから一方通行を入って来ると、ほとんど尾上町に出る手前に常磐町とぶつかり、右へ曲がるとすぐ左側に喫茶「ともしび」はあった。歌声喫茶ではないけれど、(多分)50年近くはこの場所でコーヒーを毎日入れていたと思われる(多分)ご夫婦が入れてくれる、サイフォンでのコーヒーが何とも丸みがあっておいしかったな。店の感じはレトロと言えば近いかな。店でのケータイはもちろんだけど、店内では・・・(ここまでは3月19日 記)
ここまで書いて中断。気が付けば今日は4月7日。328のパラカフェも終わったし、桜も散った。先週は暑いくらいだったのに、週が明けたら冬戻り。今日は寒いな。で、なんだっけ? 何の話だっけ? 
店内でのあとは…パソコンだパソコンも使用禁止。今時ね。そこがいいでしょ。その「ともしび」にシャッター。いつからなんだろう。ともしびの入っているビルの建て替えかな。ともしびだけでなく隣の中華も店仕舞い。関内は戦後の復興が早かったから今となっては古いビルが多くて、つまり耐震強度にやや不安があるんだろう。と、勝手に想像。
そんなことじゃなくて、レトロな空間が一つ消えたことへのノスタルジーでもなくて、単にボクの居場所が一つ減ったってこと。
寂しいかって? また、探すさ。新しい場所を。(q)

 
posted by: q | Diary | 14:58 | comments(0) |-
baby,it's cold outside
 昨日が大寒。今日は…寒いよね。お昼を食べていたらいつの間にか外は雨。きっとどこかで雪が降っているかな。そんな天気。日本丸越しに見えるみなとみらいの景色も鉛色。「あ〜、今は冬なんだ」と実感させる。
新しい年も既に3週間が過ぎた。ボチボチエンジン掛けなくちゃね。
 先週は東京キューバンの65周年記念コンサートを見た。その直後(3日後)にトロンボーンの大高實さんに会ったので話を聞いてみた。初期のメンバーはほとんどなくなられていて、最古参とみられる大高さんでさえオリンピック後の参加だとか。ちなみに65年前って今が2015年だから、1950年か49年。昭和24年か25年ころに結成。っていうことは終戦の2~3年後?その時にもうラテン?やがて日本の音楽界はラテンに席巻されていくわけだから、見砂直照さんの慧眼と言うべきか。この夜、ゲストにはペギー葉山さん、雪村いずみさん、東京スカパラダイスオーケストラはじめ大勢の方がお祝いに駆けつけ、会場を埋め尽くしたファンは今は昔を楽しんだ。現在の東京キューバンは息子さんの和照さんが再結成して10年目?。大変なもんですよ。息子だからってそうそう簡単に親の仕事を引き継げるもんじゃない。時代の変遷と言ってしまえばそれまでだけどビッグバンドに対する需要はかなり減ってしまっていて、ボクなんかがテレビで働いていたころに比べれば雲泥の差。でも、それを「時代」の一言で片づけてしまうのも抵抗感あり。
例えば今週の土曜日に横浜の保土ヶ谷公会堂で開催されるけど「横濱音泉倶楽部」のコンサート。このバンドも毎年、秋に開催されるジャズプロにはよく出てくれているバンド。安定した技術を持つプロ顔負けのステージを披露すると思うけど、このバンドのように同好の士が集まって活動しているビッグバンドはそれこそ「キラ星」のごとく存在する。
 片や昔からの老舗ビッグバンドには受難の時代、しかし趣味としてのビッグバンドは百花繚乱。なにが良いんだか悪いんだか、難しい時代? 変な時代? そうなのかな? 外は寒いけど中は暑いよ。帰りたいの?まだいいじゃないか? なんてね。
今年は「復興支援音楽の会」「NPO法人 都市資源開発センター」それだけじゃない「サクラジャズ研究会」も近々に動き出す。みなさんよろしくお願いしま〜す。カウントダウン13から12の年。間に合うかな~?(q)
 
posted by: q | Diary | 23:20 | comments(0) |-
2014年のありがとう
 いつのまにか今年も終わり。今日は仕事納めの日。昨日がクリスマスで今日が仕事納め。あまり記憶がないけど、こういう年だって何度もあっただろうにね。とにかく忙しかった1年だったから、なかなかパソコンに向かうことがママならなかった。そう言えばイブの夜に小島にあった。「10年前はイブと言えばキャンドル・イベントをしていて、楽しかったよな。おれも外れたけど、キミも外れたの?」お互いにイブは暇になった。「ハハハっ」て話なんだけど、分からないよね。まっ、いいかっ。赤レンガにも12月は行っていないから、何時スケートリンクが始まったのかも理解していない。今年のイブは大勢の人が来たのかな。他人事ながら気になりますね。
 さて、今年もまた多くの友人を失った。6月に亡くなったのは「サリ」 ボクが制作部を移動になってからTKを始めたから、直接仕事をしたことはなかった筈だけど、とても雰囲気のあるTK(タイムキーパー)さん。独特のテンポで話をする娘。高校時代は水泳の選手だったんだそうな。まだそこに行くには若すぎる。肺がんだったと聞いているけど、最後まで本番を続けていたとも聞いた。正に生涯をTKワークに捧げたんだね。ありがとう。
 その2か月前には藤井さんが逝った。これは突然だった。2月に10数年ぶりに戸塚で一緒に仕事をした。彼はイベントの専門家。過ってのボクの会社の相棒。もとは美術系のスタッフだったけど一本気で誠実な人柄ゆえ多くの若者が慕い、会社の中心的人物だった。一本気ゆえ営業とぶつかることもあったが、裏のない性格ゆえ、だからこそ若者の支持を受けた。2月に手伝って欲しいと連絡して彼の手を借りたけど、往年の切れはやはり衰えていた。それでも要所を締める技はボク等にはまねできない。その人柄の通り穏やかな最後だったそうな。冥福を祈ります。
 ここまで書いたところで、大みそかを迎えてしまった。今年もあと30分。
 そこで、8月の半ばに戻る。仙台、石巻を訪問して帰った翌日、洵さんが逝った。洵さんが膵臓で宣告を受けたのは2年前の秋になる。実にあっさりと我々に打ち明けた。Drは余命2年と伝えたそうだ。悔しがっていた。そうだろう。財団を卒業してまだ1年もたっていないときだったから。「さて、何をしようかな」と言うときに、いきなり殴られたようなもんだ。実はボクより1年先輩ではあったけど、20年を超える付き合いの仲だ。しかも、付き合い始めて分かったけれど、ボクとはその昔、今のテレ朝で働いていた頃からの因縁があった。なんと同じプロデューサーに仕えていたのだ。ボクは音楽で洵さんは車で。東京オリンピックが終わってまもなくの頃だから、なんと40年以上前の話だ。それが「横浜博覧会(YES89)」でまた出会うことになる。その後93年の「JAZZ プロ」立ち上げ時に共に働くことになる。それ以来約25年の付き合い。もちろん彼は雇われの身だから、担当を外れ現在の財団の礎を築くことになるのだが、毀誉褒貶の激しい男で親身になって味方する数も、忌み嫌う人たちの数も、並みではなかった。それは価値ある男の一面なのだろう。最後の電話はケータイにかかってきた。「お前に会いたいんだよ~」そう言った。
「まだ早い。あちらに行くにも順番てものがある。アンタの番はまだですよ。週明けの火曜日には行くから、それまで待てよ」
そう告げたけど、人の話は聞かないからね、この人は。実際会いに行ったときには、すでに昏睡状態だった。
 「俺の葬式はこうやってくれ」「花ではなくて、木に囲まれたい」「墓所は富士山と水に囲まれたところ」
彼らしい注文を大量に出したまま、しかしそれが忠実に履行されたかどうかを見守ることは叶わない。だが、最後まで彼らしく・・・・・・・だ。嗚呼!(q)
 
posted by: q | Diary | 23:28 | comments(0) |-
11月
自分の誕生月だからではないのだけれど11月はいいね。『ニューイングランドの週末』と言う曲があっててっきりダン・フォーゲルバーグが歌っていると思ったらバリーマニロウだった。そんなことはどうでもよくて、緑色が優しく映えていた木々が色づき、黄色、赤と色を増し。ほとんど無音の中に、時折降る雨さえも霧のようで、すべてを隠す。シトシトとも違う。無音の雨。雨と言うより霧のよう。そういえば11月のイベントなんて昔はほとんどなくて、大洋ホエールズのファン感謝デーだけが11月の23日に決まっていた。これが終わると冬の始まり、一年の終わり。今年も有難う、さて来年はどうしよう、と言う気にさせる。
何というか、一年の中で誰にも気づかれずに一番ホッとできる月だった。自分の気持ちをそっとどこかの芝の上に横たえることができるような時期だった。
  11月もいろいろなステージを拝見した。3日のTOMOKOさんの「YOKOHMA STYLES 14」は既にお知らせしたけど、9日は府中でクラリネットの谷口英治さんが指導されている府中のジュニアジャズバンドの発表会を。18日はデビュー60周年と喜寿のお祝いを兼ねた「雪村いずみ」さんのコンサートを。21日はにぎわい座で二回目となる、ちぐさ賞の入賞バンド、「遠藤定(b)トリオ」を。その翌日の土曜日は渋谷で「singin' in the rain~雨に唄えば」を雨に濡れそうな席で。ミュージカルはいいね。久しぶりだけど楽しくなる。以上かな…と…もう一つ24日にas4Mのパーカッションとして参加しているmaryさんの吹奏楽のウインドオケのコンサートがもみじ坂の音楽堂であって、これも拝見。ホッとできる月の忙しいライブスケジュールでした。
 なんて言ってる間に「師走」も半ば。いよいよ今年もおしまいかな。(q)
 
posted by: q | Diary | 23:47 | comments(0) |-
カウントダウン13
10月と11月の変わり目の頃からなんとなく体調が悪い。腹具合が感じ悪いし、もしかしたら風邪かな?なんて感じながら、でもその日はお約束通り『快晴』 天気予報が弱気な雨を指していたから、何年かぶりで雨かなと危惧。雨の誕生日も悪くはないけど、イベントが雨にあたるのはお客様に申し訳ない。でも、でも・・・ハレ。ハレ。ハレ。・・・よかったね。
と思いきや、イベントには様々な予期せぬ出来事がつきもので、久しぶりに大事件。予定していたフードが届かない。結果は、何とか終了時に間に合ったけど、休憩中、これはお客様から叱責を受けると覚悟を決めて・・・。ところが、ところが・・・。流石、TOMOKOさんのお客様は懐が広い。TOMOKOさんも素晴らしい。何がって、楽屋にもらったハトサブレーをお客様に配っているではないか。ロビーでMISUZUさんが歌い、ハワイからのゲスト、メイラニちゃんがフラを踊っているその脇でだ。
こうなると後半は俄然盛り上がる。ダイナ・ミキさんのエンターテインメントを堪能して戴きTOMOKOさんのサックスに酔う。
でも、疲れた。こんなところに年が出るのかな。終了後の打ち上げでもほとんど動けず。ただ座ったまま。もうお開きかな、と思った時に、ハッピーバースデーソング。『あはは、ありがとう』と照れているところにメイラニちゃんがやってきて、ボクのほっぺにチューだって。それも2回も。驚いてあっけにとられてしまいました。『Thank you』なんてね。その上メイラニちゃん、なんていったと思う? 『Forty five?』だって。ハッ・ハッ・ハッ・・・とても『カウントダウン13』と言えませんでした。
喜びと悲しみは交互にやってくる。幸せと痛みも代わる代わる。波のようにね。これまでの人生を象徴するような一日でした。
去年想像した通り、体は年々きつくなるけど、山あり、谷ありの日々はこれからも続くのかな・・・
手前味噌のお話でスミマセン。2014年11月3日の出来事でした。(q)

 
posted by: q | Diary | 00:29 | comments(0) |-