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★candleをご購入頂いた皆さん、ありがとうございました。
今年のキミに感謝する、来年の夢を記録する、thanks candle。次回もまた書いてください。
やがてこの輪は日本中に広がっていくと思います。
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2013年のありがとう
この原稿は昨年のクリスマスのころに書きました。で、そのままアップロードの予定でしたが、PCの都合でかなわず。ようやく、可能になりました、失礼お許しを。

2013年も終わろうとしている。今年もまた多くの友人、知人を失った。
4月 今村恵臣。このブログでも紹介させていただいたと思うけど、89年の『YES89・・・横浜博覧会』の時の仲間。開場のほぼ中央にあった、ステージ『YES I DO』の制作・演出の全てをお任せしていたスタッフ。一日3回のステージを約6か月、20名のキャストと10名弱のスタッフを率い、一日の休みもなく勤めてくれた。短い準備期間と決して潤沢とは言えない制作費の狭間で、泣き言ひとつ言わず、酒もたばこも控えた中で黙々と尽くしてくれた。博覧会の最終日にYESホールにいた人なら覚えているだろうけど、そこで何度も繰り返し演奏されたオリジナル曲『Just Our Time』の作詞も彼によるものだった。20名のキャストはその後、テレビの情報番組などで活躍したり、マスメディア、広告代理店などに活動の場を求め今も第一線で活躍している。ここ10年は彼は東京、ボクは横浜が多くなりやや疎遠だったせいで肺癌に冒されていることを知らされたのは亡くなる直前だった。最後に彼と話をしたのは去年の10月。大門の事務所の近くのちょっと古びた喫茶店で午後のまどろむ時間帯だった。『今村、ボクは人生の最後まで働くぞ』と告げた時に彼はなんとなく悲しそうな顔をしていた。ボクが気が付いていないだけで、彼はそれが僕との最後になるかもしれないと知っていたんだ。10才もボクより若いのに、惜しい才能が容赦なく奪われるのはやり切れない。
6月 TOMOKOさんの父、山崎康太郎先生が亡くなった。
8月 渡辺直樹。康太郎先生のお別れ会の最中に奥さんから連絡をいただいた。直樹をボクに引き合わせたのはアニさんだった。多分、72年か3年だと記憶する。だが、アニさんは直樹をボクのアシスタントにはしなかった。これも想像だが、ボクの手には負えないと考えたに違いない。直樹も音楽大好き人間だった。だが、ボクがいたせいで彼はワイドショーのチームに回された。結果的にはそれがよかった。どんな環境にも適応できるだけの力を直樹は持っていた。持ち前の明るさでいかなる社内的な評判も彼を排除させるには至らなかった。実際に共に働くようになったのはそれから10年後。事業部に行ってからのことだ。あの年はタフだった。いきなりゴルフのトーナメントのマネージメントをする羽目になった。ボク33歳?。ゴルフなんて亡国のスポーツだと思っていた。そこまでは思い込んでないとしても、とにかく一度もゴルフ場に行ったことがなかった。クラブを触ったことさえなかった。「神奈川オープンゴルフ・トーナメント」2日間の後援(JPGA)競技。その上開催まで4か月しかなかった。しかもその2週間後にはサンタナのコンサートを横浜スタジアムで開催することになっていた。コンサートのことは幾分か知っているとは言うものの、その当時、テレビとスタジアムの間には揉め事があった。とても精力的に働いた。1分たりとも無駄な時間なく、ことに対処した。結果、トーナメントは成功裏に終了。何とか赤字にならずにやり抜いた。スタジアムとの揉め事も、解決と言うか、融和という形で円満な関係を築く礎を確認できた。もちろん、直樹はゴルフトーナメントのトーナメントディレクターとして認知されるようになった。その後約15年に亘って、golf と言えば直樹の独壇場が続いた。ボクが退職しほかの会社のマネージメントをするようになってからも、直樹とは忌憚のない関係が続いた。不幸にして奴が会社を去ることになった後も、ボクは変わることなく付き合っていた。最後に会ったのは4月だったかな。Jrと共に高島屋で昼飯を喰ったのが最後になった。いつの間にか奴も還暦を過ぎ、ホッテおけば髪の毛の白さが露呈するようになっていた。息子は彼に似合わず折り目正しいヨイコだった。「直樹君 チョット腹が出すぎてないか…」と、感じたが言わなかったかもしれない。8月のその日、腹部にあった大動脈りゅうが破裂し、人生の幕を閉じた。まだ早いよなぁ〜。合掌。(q)
 
posted by: q | Diary | 23:07 | comments(0) |-









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