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★candleをご購入頂いた皆さん、ありがとうございました。
今年のキミに感謝する、来年の夢を記録する、thanks candle。次回もまた書いてください。
やがてこの輪は日本中に広がっていくと思います。
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71 の1
  71年を思い出すには70年から始めよう。
1970年と言えば『万博』。大阪の千里の丘で半年に亘って開催され、延べ6000万人が行ったというあれだ。ボク等の知る限りにおいて戦後最大のイベントだ。夏の暑い時期に「スター物まね大合戦」の録画のために千里に行ったけど、そしてリハを含めて3日くらいの大阪滞在だったけど、一度もパビリオンは覗けず。しょうがないよね。ほとんどの人はたった一つのパビリオンに入るためにほとんど一日を費やしていたんだから。万博ホールはガラスのホリゾンを持つ斬新な会場で、ガラスの向こうには噴水が仕込んであり、この噴水は様々な形に変化するという優れモンだった。この年、ボクは大学の4年生で、就職か留年か、二つの道のどちらかを選ばなければならないことになっていた。道は二つというものの、就職なんか困難で(テレビ局は採用がなく)ほとんど留年かと考えていた11月に、デスクのおっさんが「来年の春から深夜に帯で生のショウ番組を始める。ついてはお前もそのスタッフに推薦するから大学を卒業しろ」と言ってきた。当時のルールでは学生の留年は2年まで。それ以上留年するとアルバイトはクビ、と決まっていた。だから、就職できずに留年しようとしても猶予は1年だけ、だったので、この話は「ラッキー」
 大学にいったん戻り卒業し再びテレビに戻る。ストーリーは簡単でも、実際には卒業のため卒論を書かなきゃならない。50枚(400字詰めの原稿用紙で)?100枚だったかな。しかも締め切りまで90日。準備はもちろんゼロ。テーマも資料もないところから始めたのでインクレディブルでした。結局、大学には何しに行ったのかよくわからないまま卒業?したらしい。「らしい」と言うのは、実は単位が不足していたような気がするからだ。マッいいか。今となってはどうでもいいか。とにかく71年の3月には卒業証書を貰えたし、その1か月前には契約者としてその深夜の新しいショウ番組のスタッフに加えてもらえた。
(ここまで書いて、続きは明日と・・・。そしたら今日になりました。)
 「23時ショー」が始まったのは71年の4月第一週。裏には4の「イレブン」、8は「トゥナイト」。(数字は当時)10はまだ教育テレビだった。1,6,12は別にしてもこの時間帯3っつ目のショー番組だった。「23時ショー」は自分で言うのも変だけど、画期的な番組だった。今では夜の11時と言っても、それが深夜であっても『だから…何』って感じ。当時は夜の11時と言えば、まさに深夜。セブンイレブン(コンビニの)もまだないし、あっても11までの営業だし、今大変なことになっているマクドナルドも初出店前夜。家にいたって『もう寝なさい(寝ましょ)』タイム。もっともボク等の世代は受験勉強やらなんやらで実は深夜は天国。ラジをの深夜放送を聞きながら朝まで?何してたんだろう? でも、世間は夜中。そんな時代。
 そんな時代の深夜のテレビに視聴者参加を持ち込んでしまったのだ。
続く(q)
 
posted by: q | Diary | 16:20 | comments(0) |-









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